戦後と日本の鉄道

日本の鉄道が戦後の時代を迎えると、従来型の設備や車両の大転換を行う必要が生じました。昭和30年代頃までは、地方の広い範囲で蒸気機関車が通過していたために、煤煙の問題にも直面しています。さらに、トイレの問題も深刻で、都市の沿線からの苦情が多かった垂れ流し式の廃止も急務となっていたのです。

昭和40年代になると、蒸気機関車は次々に姿を消して、非電化路線では気動車の運行が開始されています。このおかげで、トンネル通過時には煤煙で悩まされることがなくなり、燃費も同時に向上したのは大きな進歩です。電化も徐々に行う中で、既存の橋梁には架線柱を設置するなどして、設備の更新も行われています。

東京の鉄道では、超過密な混雑を経験するようになるのは戦後になってからです。山手線などでは満員電車が日常風景になり、都市の問題として紹介されることが多くなります。こうした問題に対しては、複線化や車両の近代化をすることで対処していました。

戦後には新幹線が開業したことで、日本の鉄道も輝かしい時代を経験するわけですが、実際には違う問題もありました。国鉄の債務が膨大になり、不採算路線では存続が難しくなっていたのです。そのため、昭和62年には国鉄の分割民営化が行われ、鉄道運営も合理化される時代になりました。