トンネルと日本の鉄道

日本は山岳が多いだけでなく、台地と低地の間にも急峻な崖線があるために、鉄道を通す場合には困難な事態に直面していました。そこで考えられたのは、トンネルで山間部を貫いて、まっすぐな線形で線路を通すことです。典型的な山岳路線となる中央本線を建設する際にも、同じ考えを踏襲することになりました。笹子峠の下に見られる施設も同じで、古風な扁額とともに土木遺産として大切に保全されています。

日本の鉄道史において、難工事で特に有名になったのが丹那トンネルです。大きく迂回していた東海道本線を直線的に結ぶために工事が始まりますが、この場所の地盤は豊富な地下水を蓄えており、もろくて崩れやすいものでした。工事中には多くの犠牲者を出しながらも、1934年には開通し、東海道本線の歴史を大きく変えることになりました。

東海道本線の例では難工事で苦労したため、戦後には地盤調査を詳細に行うことが一般的になります。シールド工法が採用されることも多くなり、次第に安全な形で構築できるようになりました。1988年には青函トンネルが開業したことで、土木の技術は世界最高峰として認められるようになり、鉄道の歴史を飾ることになったのは印象的です。